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長崎地方裁判所佐世保支部 昭和51年(ワ)101号 判決 1977年11月10日

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金八〇〇万円及びこれに対する昭和五一年七月一六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

原告は、次の交通事故により負傷した。

(一) 日時 昭和四四年二月一四日午後一〇時頃

(二) 場所 長崎県佐世保市田原町二一番一九号先国道上

(三) 加害車 長崎4な九二五三(小型貨物自動車)

右運転者 訴外大串ツギ

(四) 被害者 原告

(五) 態様 右道路を横断歩行中の原告に加害車が衝突

(六) 傷害の程度 右事故により原告は右膝関節捻挫傷の傷害を蒙り、長崎労災病院に直ちに入院、右膝腫張著明、右膝伸展不能、右膝曲折不能のため即日ギブスシーネ固定療法を受け、同月一八日シーネ除去後は松葉杖を使用して歩行運動浴等を開始し、膝屈曲六〇度位の状態で同年三月一〇日退院、引続き同日橋口整形外科に入院、同年四月三〇日退院、退院後引き続き右病院に通院し、同年九月一日再び右病院に入院、同月一五日退院、退院後も同年一一月二九日まで右病院で通院治療を受け、その後大村市立病院で治療を受け、昭和五一年三月二四日国立療養所川棚病院に入院、同年四月二日国立嬉野病院へ転院、同月一二日、右人工膝関節全置換手術を受け、同年六月二〇日退院したが、現在も通院加療中で、歩行は極度に困難で、局部に疼痛があり完全回復の見込みはない。

2  責任原因

被告は、本件加害車を自己のために運行の用に供していた。

3  損害

(一) 原告は昭和四八年八月までに治療費一五万円を支出し、なお将来の治療費として少なくとも三〇万円の支出が予想される。

(二) 原告は農業に従事していたが、本件事故後、就労不能となつた。そこで、原告は本件事故に逢わなければ、次のとおりの得べかりし利益があつた筈であるのにこれを喪失した。

(1) 昭和四四年三月以降昭和四八年八月迄の年額八〇万円の割合による収入三六〇万円

(2) 昭和四八年九月以降就労可能年数一六年間の年額八〇万円の割合による収入一、二八〇万円(物価上昇による収入の増加を考慮しないで算出しているので中間利息は控除していない。)

(三) 原告は、現在も引続き肉体的苦痛を味わつているから、その慰藉料は一〇〇万円が相当である。

4  よつて原告は被告に対し、右各損害金の合計一、七八五万円のうち八〇〇万円及びこれに対する本件事故後であつて本件訴状送達の日の翌日である昭和五一年七月一六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1の事実のうち、(六)は不知、その余は認める。

同2の事実は認める。同3の事実は争う。

三  抗弁

1  消滅時効

原告の本訴提起のときは、すでに原告が損害及び加害者を知つた昭和四四年二月一四日から三年を経過していた。被告は本件第一回口頭弁論期日(昭和五一年八月五日)において右時効を援用する旨意思表示した。

2  過失相殺

本件事故発生には、本件道路を、左右の安全確認を怠り突然飛び出して横断を開始した原告の過失も与つて大であつたから、賠償額算定につき右過失が斟酌されるべきである。

3  損害の填補

原告は、自賠責保険金三七万六、一八八円を受領済みであるから、右金額は損害から控除すべきである。

四  抗弁に対する認否

1  原告は、本件受傷につき、受傷当時には予想しえなかつた治療を必要とされ現在に至るまで継続して治療を受けているのであるから、原告の被告に対する損害賠償請求権は時効により消滅しない。

2  抗弁2の事実は否認する。

3  自賠責保険金を受領した事実は認めるが、その額は争う。

五  再抗弁(消滅時効の抗弁に対し)

被告は、原告に対し昭和四五年二月ころ本件損害賠償債務を承認した。

六  再抗弁に対する認否

再抗弁事実は否認する。

第三証拠〔略〕

理由

一  被告は、本件損害賠償請求権はすでに三年の消滅時効により消滅している旨抗弁するので、まず、右抗弁について判断する。

加害行為そのものは一回かぎりであつて損害のみが継続的もしくは間歇的に発生する場合には、被害者が加害行為に基づく損害の発生を知つた以上、その損害と牽連一体をなす損害であつて当時においてその発生を予見することが可能であつたものについては、すべて被害者においてその認識があつたものとして、民法七二四条所定の時効は前記損害の発生を知つたときから進行を始めるものであるが、当時において通常人の予見することができない範囲の損害については、別箇にその発生を知つたときから同条所定の消滅時効が進行を始めるものと解するのが相当である。

請求原因1の事実については、(六)の傷害の程度の点を除いて当事者に争いがなく、いずれも成立に争いのない甲第一ないし第五号証、乙第一号証の一ないし三、乙第三、第四号証、原告本人尋問の結果(第一回)によつてその成立を認めうる甲第一一号証、証人橋口剛志、同一瀬季寿の各証言、原告本人(第一、二回)及び被告代表者(第一回)各尋問の結果を総合すれば、次の各事実が認められる。

1  原告は、本件事故により右膝関節内血腫の傷害を負い、その治療のため、次のとおり入院、退院及び通院を重ねた。

昭和四四年二月一四日 長崎労災病院入院

三月一〇日 同病院退院

右同日 橋口整形外科内科医院入院

四月三〇日 同医院退院

五月一日から八月三一日まで 同医院通院

九月一日 同医院入院

九月一五日 同医院退院

一〇月一二日から一一月二九日まで 同医院通院

2  右膝関節内血腫は、昭和四四年一一月二九日頃、橋口整形外科内科医院の橋口剛志医師(以下橋口医師という)により症状固定と診断された。しかし、その右膝に二次性の変形性膝関節症が誘発していたので、原告は引続き昭和四五年一月二六日から昭和四九年一月二七日まで橋口整形外科内科医院に通院してその治療を受けた。本件受傷当時、原告の傷害の程度は、局部における疼痛を除けば、それほど重いものではなかつたが、右通院期間中の昭和四八年一月頃から同年五月頃にかけて膝関節症はますます悪化し、右膝関節部の腫脹がひどく時には膝関節に水がたまり患部の疼痛は以前にもまして激しくなつた。たまりかねた原告はその頃橋口医師に患部の切断等の手術を依頼した。同医師は、関節面を除去して骨と骨とを癒合させる手術を施した方がよい旨の診断を下したが、関節を除去するに忍びず、右のような手術を施すことを見合わせたまま、前記の通り昭和四九年一月二七日まで治療を続けた。しかし、橋口医師も激しい疼痛が続くのであれば、いずれ右のような手術又は人工膝関節全置換手術を施さざるを得ないだろうと判断した。その後原告は次のとおり入院、退院及び通院をくりかえした。

昭和四九年一月二八日 大村市立病院入院

三月九日 同病院退院

三月一〇日から七月一五日まで 橋口整形外科内科医院通院

七月一六日から九月二〇日まで 大村市立病院通院

九月二一日から一一月七日まで 橋口整形外科内科医院通院

3  昭和四九年一一月頃、原告の右膝関節部に一部膨隆が認められたので、本件交通事故による受傷とは関連性のない腫瘍の疑いがあり、原告は、同月八日橋口整形外科内科医院に入院し、右膝の切開手術を受けたところ、腫瘍性の変化はみられず、結果的には、右膝の切開手術はしなくてもよかつた手術ということになつたが、右膝に滑膜の異常な増殖が認められたので、右手術の機会を利用し、原告は滑膜切除の手術を受け、昭和五〇年三月一〇日同医院を退院し、引続き同月一一日から同年一二月二六日まで同医院に通院して膝関節症の治療を受けた。

4  昭和五一年三月二四日、原告は国立療養所川棚病院に入院したが、同年四月二日国立嬉野病院に転入院し患部に依然として激しい疼痛があつたので同月一二日右人工膝関節全置換の手術を受け、同年六月二〇日同病院を退院し、同月二一日から昭和五二年二月四日まで同病院に通院して治療を受けたが、現在も歩行には松葉杖を必要とし、右膝は人工膝関節のため階段の上り下り、また用便時しやがむのに苦労し、寒冷時には局部に疼痛を覚える状態である。

5  一方、原告は、おそくとも昭和四四年五月一五日頃までに、本件加害車の所有者が被告であることを知り、被告代表者に、同年一二月頃書面で本件事故に基づく損害の補償として金六二五万二、四八〇円を要求したり、また一瀬季寿らと共に昭和四八年五月頃まで何回となく被告代表者に面談して時には一、〇〇〇万円の補償金を支払うことを要求したりしたが、被告代表者の応ずるところとならなかつた。昭和四八年一月頃から同年五月頃にかけて原告は、前認定のとおり患部の疼痛は激しく、また橋口医師からはこれ以上よくなる見込のないことを告げられていたので、農業に従事することは不可能になつたものと思い、同年五月一二日、年額八〇万円の割合による、就労可能年数一六年分の逸失利益を含む金二、一四四万円の本件事故に基づく損害の補償を求めて、被告を相手に佐世保簡易裁判所に調停の申立をし、右調停事件は昭和四八年(ノ)第三五号損害賠償請求調停事件として同裁判所に係属したが、同年六月二五日不成立に終つた。

以上の事実が認められ、右認定を左右する証拠はない。

右認定の事実によれば、原告は、昭和四四年二月一四日受傷した当時においては、昭和四八年一月頃からの右膝関節症の悪化、及びそれに起因する右人工膝関節全置換の手術を受けることや後遺症の発生を予見することはできなかつたものと推認できるけれども、昭和四八年一月頃からの膝関節症の悪化に伴なう激しい疼痛に堪えかね橋口医師に手術を依頼した時点においては、右手術を受けることや後遺症の発生を予見することが可能になつたものと認められ、おそくとも前認定の調停を申立てた頃までには、それらと相当因果関係の範囲にある全損害の発生を知つたものというべきである。してみれば、民法七二四条所定の消滅時効は、おそくとも原告が右調停申立をした昭和四八年五月中旬から進行を始めるものと解すべきところ、原告は、被告が本件損害賠償債務を承認したと主張するが、これを認めるに足りる証拠はなく、他に時効中断事由の存することにつき原告において何ら主張立証がないから、右の頃から三か年を経過した昭和五一年五月中旬右消滅時効は完成したものと解され被告の消滅時効の抗弁は理由がある。

二  以上の次第で、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないことに帰するから、失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 桑江好謙)

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